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アルフォンス・ミュシャ(Alfons Maria Mucha)
1860年7月〜1939年7月
アルフォンス・ミュシャは、アール・ヌーヴォー様式を代表する巨匠です。
草花をモチーフとした幾何的な文様や、曲線を多用した平面的で装飾的な画面構成など典型的なアール・ヌーヴォー様式と、モデルの女性など描く対象の個性や特徴を的確に掴みながら、視覚的な美しさを観る者に嫌味なく感じさせる独自の対象表現を融合させ、数多くの商業用ポスターや挿絵を製作しました。
ミュシャの作品は、星・宝石・花などの様々な概念を女性の姿を用いて表現するスタイルと、華麗な曲線を多用したデザインが特徴です。イラストレーションとデザインの代表作として『ジスモンダ』『黄道12宮』『4芸術』などがあります。また絵画の代表作として、20枚から成る連作『スラヴ叙事詩』が挙げられます。
アール・ヌーヴォー(フランス語: Art Nouveau)とは、19世紀末から20世紀初頭にかけてヨーロッパを中心に開花した国際的な美術運動のことで「新しい芸術」を意味します。
花や植物などの有機的なモチーフや、自由曲線の組み合わせによる従来の様式に囚われない装飾性、鉄やガラスといった当時の新素材の利用などが特徴の芸術です。分野としては建築、工芸品、グラフィックデザインなど多岐にわたっているという特徴があります。
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略歴
1860年 オースリア帝国領モラヴィアのイヴァンツチェに生まれる。
1875年 声が出なくなり、当時志していた音楽家を諦める。
1885年 エゴン伯爵の援助を受け、ミュンヘン美術院に入学。
1888年 パリにてアカデミー・ジュリアンに通う。
1895年 舞台女優サラ・ベルナールの芝居のために「ジスモンダ」のポスターを作成。威厳に満ちた人物と、細部にわたる繊細な装飾からなるこの作品は、当時のパリにおいて大好評を博し、文字通り一夜にして彼のアール・ヌーヴォーの旗手としての地位を不動のものとする。
1910年 故国であるチェコに帰国し、20点の絵画から成る連作『スラヴ叙事詩』を制作する。
1918年 ハプスブルク家が支配するオーストリア帝国が崩壊し、チェコスロバキア共和国が成立。ミュシャは新国家のために紙幣や切手、国章などのデザインを行う。財政難の新しい共和国のためにデザインは無報酬で請け負っていた。
1839年 ナチスドイツによってチェコスロヴァキア共和国は解体された。プラハに入城したドイツ軍により「ミュシャの絵画は、国民の愛国心を刺激するものである」という理由から逮捕された。ナチスはミュシャを厳しく尋問。それは78歳の老体には耐えられないものであった。
1839年 解放から4ヶ月後に体調を崩し、祖国の解放を知らないまま生涯を閉じた。遺体はヴィシェフラット民族墓地に埋葬された。