いわさきちひろ
1918〜1974年
女学校時代に洋画壇の巨匠「岡田三郎助」にデッサン・色彩などについて厳しい指導を受け、また書を小田周洋に習いました。
1950年代から紙芝居、絵本の出版という形で作品を発表し、数多くの賞を受賞しました。1973年ボローニャ国際児童グラフィック賞を受賞しました。
子供、母親、自然などへの情熱を的確なデッサン力と独自の色彩感覚によって表現し、多くの読者を魅了しました。
19774年、55歳の若さで死去しました。
いわさきちひろの描いた子供達、それは生涯平和を強く願い続けた彼女の、様々な絵画技法を自由に使いこなす優れた才能が結びついて生まれた「いわさきちひろの世界観」です。
略歴
1918年 12月15日福井県武生市で生まれる。ちひろは3姉妹の長女。
1933年 岡田三郎助に師事、デッサン・油絵の勉強をはじめる。
1936年 府立第六高等女学高を卒業。朱葉会女子洋画展に入選した。
1937年 小田周洋に師事、藤原行成流の書を習いはじめる。
1942年 中谷泰に師事、再び油絵を描きはじめる。
1945年 5月、空襲で家を焼失、母の実家(長野県松本市)に疎開。
1948年 新聞のカット・挿絵、絵雑誌、教科書の仕事を多く手掛ける。油絵もよく描く。
1949年 紙芝居「お母さんの話」(教育紙芝居研究会)を出版し、翌年、文部大臣賞を受賞。
1950年 1月、松本善明と結婚。
1956年 小学館児童文化賞受賞。初めての絵本「ひとりでできるよ」(福音館書店)を描く。
1960年 「あいうえおのほん」(童心社)を描き、翌年、サンケイ児童出版文化賞受賞。
1971年 「ことりのくるひ」(至光社)を描き、1973年ボローニア国際児童図書展グラフィック賞を受賞。
1974年 8月8日死去。遺作は「赤い蝋燭と人魚」(童心社・未完)。
1977年 「いわさきちひろ」の業績を記念して、「いわさきちひろ絵本美術館」が設立される。